今回は、仏教の開祖であるブッダ(お釈迦様)の生涯から、恨みや勝敗を捨てる生き方を学びたいと思います。

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ブッダ(お釈迦様)は、現在のインドやネパールを中心に活動した方です。ブッダが生きた時代は、様々な国が資源や土地を奪い合い、争いの絶えない戦乱の世であったと伝わっています。

その当時に生きた人々は、戦乱の中で、はかなさを感じ、時代に翻弄をされた人生送った人も多かったことでしょう。そのような中にあって、ブッダの言葉が人々の心をうち、大変な説得力を持って、伝わったのだと思われます。

そして今なお、ブッダの言葉は世界各地で息づき、大切にされています。

今回は、特に、恨みを捨て、勝敗を捨て、幸せになることを説いたブッダの生涯から、生き方を学びます


憎しみや恨みの思いが沸き起こりつつも、そんな自分の感情を何とかしたいと思っている方。競争社会、争いの中で、勝敗(勝ち負け)の人生に疲れた方。そんな方々にとって、少しでも参考になれば嬉しく思います。

最後までお読みいただけますと幸いです。

目次

  1. 争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問
  2. 恨みを捨てる生き方
  3. 勝敗を捨てる生き方
  4. 守らなければ奪われてしまうという現実をどう考えればよいか
  5. 我々にできること

争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問

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前述の通り、ブッダが生きた時代は、多くの国が群雄割拠し争い合った戦乱の世だったと言われます。軍事力の強い国が、水源や食料の豊かな土地を力尽くで奪い、多くの国が滅亡しいったと伝わっています。

ブッダの一族である釈迦族も、ブッダ晩年前後に滅ぼされたとも言われます。

戦争や紛争の敗者は、あらゆる物を奪われ、失います。家族や家、財産、自由、人としての誇りなどです。

ブッダが出家をして、真理を求めたのは、こうした争い、奪い合いを続けている世に感じた疑問も背景にあると言われています。そして、正しい人間としての生き方とは何か、その答えを求めて出家したと考えられます。


そうしてさとりをえたブッダが説いた「全てのものは無常である」という諸行無常の言葉や、「あらゆるものは思い通りにならない」という一切皆苦(いっさいかいく)の言葉は、この戦乱の世を生きる人々にとって、大きな実感を持ち、心を捉えたのだろうと思われます。


また、視点を移してみると、国と国とが争いを続けているのは現代も同じです。

水や食料、石油やガス、金属、海域など、資源の内容は時代によって変わろうとも、豊かな資源を求め、軍事力が強い国がそれを侵略する構図は現代も変わっていません。そして、そこから得た資源や利権を、一部が享受するという構図も昔から変わりません。

恨みを捨てる生き方

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前述のように、戦争や紛争の敗者は、家族や家、財産、自由、人としての誇りなど、あらゆる物を奪われ、失います。

そして、そこから生まれる恨み、憎しみは表現できないほど大きなものでしょう。さらに、その恨み憎しみが、復讐の思いとなって、新たな争いが勃発します。

憎悪が渦巻き、復讐がおこなわれ続ける限り、一方が他方を全て殺し尽くすまで、恨みの連鎖は止まることはありません。

ブッダは、こうしたあらゆるものを奪われ、恨みや憎しみを抱く人々に対して、恨みの連鎖を止める唯一の方法を説きました。

それは、恨みや執着を捨てることです。『ダンマパダ』という経典の中に、このような言葉が記されています。

「恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生きよう。恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく暮らしていこう」
『ダンマパダ』197


ただし、大切な人やものを奪われた人にとって、恨みを捨てることは容易ではありません。奪った側が、何食わぬ顔で、その利益を享受していたらなおさらです。

どこかで恨みの連鎖をやめなければ、永遠に争いは続いていく。そのことは頭では理解できても、いざ当人となれば、怒りを抑え、憎しみを捨てることは難しいことです。

ただ、どこかで恨みの連鎖をやめないことには、殺し尽くすまで終わらないことも事実です。

人々の思いを痛いほど感じつつも、恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生き、暮らしていくことを、ブッダは勧めたのでした。

勝敗を捨てる生き方

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戦争や争いに勝ったものは、資源や利権を得ると思われます。しかし、実際は、それより多くの敵と恨みを得ます。

軍事的強国が、多くのものを奪ってきたのと共に、それ以上の敵と恨みを生み出し、泥沼化していることは歴史からも明らかです。

一生、敗者の恨みをかい、復讐におびえ、戦い続け、勝ち続けなければなりません。『ダンマパダ』に、このようなブッダの言葉があります。

「勝利からは恨みがおこる。敗れた人は苦しんで終わる。勝敗を捨てて、安らぎを大切にした人は、安らかに終わる」
『ダンマパダ』201

勝っても恨みがおき、負けても苦しみがおこる。こうした勝敗の生き方自体を降りていくことが、本当の安らぎを得ていくことにつながることを示しています。

守らなければ奪われてしまうという現実をどう考えればよいか

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しかし、大切なものは守らなければ、奪われてしまうという現実もあります。自分や自分の家族、自分が得てきたもの。これらを失いたくないという感情や、失わないことが幸せであるという価値観も我々はもっています。


恨みを捨て、執着をせず生きていくことで、たとえ最上の穏やかさと心の豊かさをえられると知ったとしても、実際は、恨みを捨てることも、執着を捨てることも難しいという現実を我々は生きています。


盗難や犯罪が近隣でおこったら、家に鍵をかけたかどうか、いつもより入念に確認するでしょうし、出歩くのにも警戒心がはたらきます。

もし、家族が被害を受けたなら、怒りや恨みを抱くことでしょう。

そして、他国から侵略されないために、防衛力を高めることは必要だと思うこともあるでしょう。

また、競争社会の中で生きているから、勝ち負けの感覚から離れづらいこともあるでしょう。

人間が生きるということは、多くの人の様々な感情が絡み合い、一筋縄ではいきません。

そして、そもそも、自分自身の感情をコントロールすることさえも、とても難しいものです。

恨みを捨て、勝敗を捨てる生き方が素晴らしいと思ったとしても、現実問題は別だとして生きているのが我々でもあります。


ブッダは、恨みを抱く人たちに、恨みではない生き方を伝え、権力者には、争いは恨みを生むことを伝えました。しかし、恨みや争いはやむことがなく、釈迦族も侵略されてしまったわけです。

ただし、ブッダはそれでも、恨みを捨て、勝敗を捨てる生き方を説きました。そうしなければ、真の幸せは得られないからとさとっているからです。


繰り返しになりますが、我々は恨みも、勝敗も捨てさることは難しいことです。被害や差別にあえば苦しみますし、社会では競争を求められる面があります。

我々にできること

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では、我々にできることは何でしょうか。

まずは、恨みや争いは中々なくならないという現実を認識しつつも、恨みや争いをよしとしないことではないでしょうか。

そして、平和を願い、他者の幸せ、身近な人の幸せも願うことではないでしょうか。自分の幸せばかりを願うのではなく、他者の幸せを一緒に願うことが、恨みや争いのむなしさへの理解を進め、恨みの思いを緩和していくことでしょう。

そして、恨みや勝敗からおこってくるものに束縛されるのではなく、自分が本当に大切なもの、本当に幸せを感じるものへと意識を向けていくことが重要なことです。

争いの中にあるのであれば、その争いの環境から降りることも一案でしょう。

しかし、恨みや争いは身の周りにあり、中々なくなりません。恨みや争いの中にあって、いかにそこから距離をとり、大切なもの、幸せなものへ意識向けていけるかが重要になります。

「恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく、安らかに生きよう。恨みを抱く人たちの中で、恨むことなく暮らしていこう」

「勝利からは恨みがおこる。敗れた人は苦しんで終わる。勝敗を捨てて、安らぎを大切にした人は、安らかに終わる」


今回は、ブッダの生涯、ブッダの言葉から、恨みや勝敗を捨てる生き方を学びました。


(参考文献:『日本人が知らないブッダの話』アルムボッレ・スマナサーラ)

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