新年の言葉を味わってみる【仏教ひとくち法話】

この内容は、2021年1月6日に行われたお寺の朝会での法話を、文字起こししたものです。

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「ヘルシーテンプル@オンライン」。本日は信行寺版ですね。「幸せを育む法話の時間」ということで、ご参加の皆様と共に、人生や幸せについて考えたいと思います。

さて、本日は新年最初の朝会ということで、新年に関する言葉を取り上げて、皆様とご一緒に味わってみたいと思います。新年の言葉と調べると、色々出てきます。松下幸之助さんの言葉は、以前から耳にしたことがありましたが、色々なサイトで紹介されていました。

竹に節がなければズンベラボーで、とりとめがなくて風雪に耐えるあの強さも生まれてこないであろう。
竹にはやはりフシがいるのである。
同様に、流れる歳月にもやはりフシがいる。
ともすれば、とりとめもなく過ぎていきがちな日々である。
せめて年に一回はフシを作って、身辺を整理し、長い人生に耐える力を養いたい。
そういう意味では、お正月は意義深くて、おめでたくて、心もあらたまる。
松下幸之助

このような言葉ですね。

竹というのは、節がなければのっぺりとしてしまい、しまりがでないですね。それを、ズンベラボーという言葉で表現されています。そして、節があるからこそ、風雪に耐える強さも生まれてくる。

我々の日々は、ともすればとりとめもなく流れ、過ぎていってしまう。一年に一回でも、身辺を整理したり、人生を振り返ったり、思いを新たにしたりといった、人生の節目をつくるといいのではないか。そうしたことをするには、お正月は意義深い。

そのような言葉に感じられます。松下幸之助さんは、お正月に、人生の節をつくるという意義を見出されていたようですね。

さて、お正月に関する別の言葉を見てみましょう。

最近は年賀状の代わりに、SNSを使った新年の挨拶が多くなりましたね。Facebookをのぞくと、友人知人の新年のご挨拶が、いっぱい投稿されていました。

私は僧侶ですから、お坊さんの知り合いが多いわけですけれども、お坊さんの新年の挨拶の中には、一休宗純の作と伝わる言葉を記されていた方も数名おられました。

一休宗純といえば、主に1400年代を生きた臨済宗の僧侶で、アニメの一休さんのモデルになったお坊さんとしても有名です。その一休宗純さんが正月にうたったと伝わる歌がこれです。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
一休宗純

一里塚(いちりづか)とは、街道のそばに一里(約3.9Km)ごとにつくられた土盛りのことで、昔、旅人が旅をする際の目印としていたものだそうです。

この歌では、人生を旅にたとえ、門松を飾る正月が来るたび、冥土が近づいている。正月はめでたいが、めでたいばかりでもないということを皮肉的に歌っているように思われます。

この歌の意味は、現代では誕生日で考えると分かりやすいかと思います。
我々は、ある一定の年齢になると、誕生日が来て歳を重ねるたびに、複雑な気持ちになるということはないでしょうか。

もう還暦かとか、ああ来年で70かとか。また、30歳になる自分、40歳になる自分、50歳になる自分が信じられないという思いをする方もおられるかもしれません。

昔は数え年で、正月になると一つ歳を重ねるという数え方でしたから、正月は今でいう誕生日の感覚があったのかもしれませんね。

門松は冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし

「もういくつ寝るとお正月」という言葉もありますが、「もう何回来るかお正月」ともいえるわけです。このお正月を、あと何回迎えられるだろうか。

先日、亡くなられた方のお宅にお参りさせていただいたら、その亡くなられた方が、昨年のお正月におせち料理を笑顔で食べておられる写真が飾ってありました。

ご遺族は、「まさか今度のお正月は、あの人がいないとは思いもしませんでした」とおっしゃってました。そんなことを思うと、一回一回のお正月が大切に感じられます。

そして、昨年を振り返ってみると、新型コロナウイルスの年といっても過言ではないほど、その影響があった年でしたね。年が明けても今なお、その影響の真っただ中です。

昨年は、色々な行事が中止になりました。今回のお正月も、帰省が難しい、お出かけすることが難しい、そんな色々な方に様々な影響があったお正月ではなかったかと思います。信行寺でも、直前になって除夜の鐘を中止することになりました。

昨年やこのお正月を通して感じたのは、四季折々に催しごとがあることは、とても人間らしい営みであり、人生を彩る文化的な営みでもあったということです。

それらがなくなってみると、日々が変化に乏しく、人生に彩りがなくなったように感じられることもありました。

お正月。365日の中の一日であり、他の日と同じ24時間です。しかし、それでもお正月を特別に感じようとすることは、人間らしいことのように思われます。

人類は、意図的に、季節の折々に特別な日を設定し、催事をおこなってきたのでしょう。それは、人生に彩りを加える文化的な営みであり、とても人間らしい営みなのかもしれません。今年のお正月は、そんなことを思いながら過ごしました。

皆さんは、今年のお正月はどのようなことを感じたでしょうか。この後、ご一緒にお話をしてまいりたいと思います。

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最後までご覧いただきありがとうございます。

 

合掌

福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)

神崎修生

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