【幸せを育む時間】多様を前提とした価値観を育む

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職場で上司が、年の離れた部下に対して、こうあるべきと言うと、それを聞いた部下は、すんなり受け入れられることもあれば、そうでないこともあるでしょう。

例えば、一昔前では当たり前だった、飲み会には参加すべきという意見や、残業してでも働くべきとといった意見は、時代が変わって随分ととらえられ方が変わってきました。

上司の意見を年の離れた部下が理解できないことがあるのと同様に、若い部下の意見を年上の上司が理解できないこともあるでしょう。

生きている時代が違えば、経験してきたこと、触れてきたものなどが全く違うため、出てくる意見も当然違ってきます。そして、自分が正しいという思いがどこかにあると、中々相手の意見をすんなりと聞くことができません。

また、LGBTという言葉を聞かれた方も多いかと思います。2020年の電通さんの調査では、LGBTという言葉の浸透率は、日本では80%だそうですね。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーをはじめ、その他もありますが、性のあり方も多様であることが、近年知られるようになってきました。

こうしたセクシャル・マイノリティ(性的少数者)と言われる方々が、人口の何割程度いるかご存知でしょうか。同じく、電通さんの2020年の調査では、8.9%だそうです。

日本の四大名字、佐藤さん、鈴木さん、高橋さん、田中さん。その名字の方が、日本の人口のどれくらいいるかというと、おおよそ5%程度だそうです。セクシャル・マイノリティと言われる方のほうが多いんですね。

佐藤さん、鈴木さん、高橋さん、田中さんという名字の当事者であったり、また知り合いにいるという方はほとんどじゃないでしょうか。とすると、セクシャル・マイノリティの当事者か、また当事者の方と出会っている、身近にいることは普通のことです。

このお話は、杉山文野さんというトランスジェンダーの方の講演で伺ったことです。果たして、本当に性的マイノリティ、少数派なのかが疑問になってきます。

◆多様性が言われる背景

近年、多様性(ダイバーシティ)という言葉を、目や耳にすることも多くなりました。経済界などを中心に言われることも多いですが、我々に引き寄せて考えてみると、この多様性(ダイバーシティ)が言われるようになった背景として、大きく2点、グローバル化とインターネットの発達があげられるかと思います。

グローバル化やインターネットの発達によって、世界中とつながり、様々な国の人と接することや、モノや情報をやりとりすることが可能になりました。得られる情報量が加速度的に増え、今やそれぞれが自分好みのものに最適化された情報を目にしています。お茶の間で日本人の多くが、同じテレビ番組を見るという時代はとうに終わり、100人いれば100通りの時間の過ごし方をしています。

それぞれ個々人が、見ているものや経験していることが違うので、たとえ国が同じであっても、価値観や考え方は、同じであるほうが難しいのかもしれません。勿論、似通った部分はあるでしょうが、それぞれの価値観や考え方は同じであるという前提で考えるのではなく、それぞれが違う、多様であるという前提で考えないといけない時代に入っているのでしょう。

◆もともと多様なのではないか

こうして考えていくと、もともと人とは多様なのではないかという考えも出てきます。人はそれぞれ違う、多様であるということが理解されるようになってきたことで、これまで偏見や差別を受けて、苦しみや生きづらさを感じていた方が声をあげやすくなってきました。

こうあるべきという偏見によって、本来の自分はそうではないのに、そうあらねばならないのではないかと葛藤し、苦しんでいる人たちが多くいるという事実が見えてきました。

つまり、もともと人とは多様であり、個々人が違う人であるということ。そうであるにも関わらず、こうあるべきという偏見や価値観によって、あたかも人とは多様ではないものとされてきた。

男とはこうあるべき、女とはこうあるべき。

年下とはこうあるべき、年上とはこうあるべき。

誰が決めたかもよく分からない、こうあるべきという偏見を、我々は、公然の事実のようにして語り、人に押し付け、接する人を傷付けてきたのかもしれません。そして、我々自身も、こうあるべきという偏見を押し付けられ、苦しみや生きづらさを感じたこともあることでしょう。

◆我々にできること

人とは多様である。価値観や考え方も多様である。そうした時に、我々にできることはなんでしょうか。

一つは、自分が思っているこうあるべきという意見は、本当にそうなのだろうかと考えてみることではないでしょうか。違った立場から見れば、違った価値観、違った意見になるのではないか。そういうことをそれぞれが問うことが大切だと思います。

そしてそれは、人とはそれぞれに違うこと、人とはもともと多様であることを前提とし、それに基づいた考えや発言をおこなうことにつながってくることでしょう。

仏教でも、浄土真宗や浄土宗でよく拝読する『仏説阿弥陀経』というお経には、「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」という言葉が出てきます。それぞれの花が、それぞれの色に輝いているという言葉から、その人がその人らしく生きていくことのできる世界のあり方の素晴らしさとして、語られることがあります。

また、浄土真宗の家庭に育った金子みすゞさんの、「みんなちがって、みんないい」という言葉も有名ですね。それぞれが違うという前提にたち、その人がその人らしく生きていくことのできる世界の素晴らしさが、仏教的な世界観として説かれています。

また、知らないことが偏見や差別を生んでいることもあります。とすれば、我々にできるもう一つのことは、互いを知ろうとすること、知らないことを学ぶこと、直接語り合うこと、そうした姿勢もとても重要ではないでしょうか。

◆仏智に依る

最後に補足しておくと、多様であるからと言って、何でも良いわけではありませんね。倫理やモラル、法というものがあるからこそ、心地よい人間関係を築くことができ、社会が機能します。

ただし、何が善く、何が悪いかは、何を優先するかは、時代や国によっても変わり、非常に難しいものです。ですので、そのベースになる宗教や哲学、倫理といった思想を、人類の智慧として学ぶ意義はあるでしょうし、善悪とは何かを考え続ける必要性があるでしょう。

ちなみに、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、善悪のふたつについて、私はまったく知りようがないと断言されています。その理由は、煩悩という自分中心の欲を抱えた自分という人間、そして、欲が燃え盛るこの世界では、自分が良ければ良い、自分たちが良ければ良いという欲が優先され、全てのものはそらごとであり、たわごとであり、真実と言えるものは何もないとまで言い切られました。

自分中心の欲、この執着をどうにかしないことには、本当の意味で、公平、平等になんてみることはできない。偏見であったり、我々がしでかす様々な罪や悪など、あらゆる問題が、この自分中心の執着や無智からうまれていると仏教では考えていきます。

だからこそ、仏様の智慧に依って、善悪とは何かを考えたり、自分のもつ価値観や偏見について内省することが意義あることとなってくるのでしょう。

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最後までご覧いただきありがとうございます。合掌
福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)
神崎修生

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