【仏教ひとくち法話】#016 いただきますとお供え物

この内容は、2021年2月23日におこなわれたオンライン朝会での法話のものです。

▼動画でもご覧いただけます

改めて、本日もようこそお参りくださいました。

「ヘルシーテンプル@オンライン」、全国版ですね。

本日も150名近くの方にご参加いただいております。ありがとうございます。

さて、私のほうでは、「幸せを育む法話の時間」ということで、ご参加の皆様と共に、
法話を通して人生や幸せについて考えさせていただいております。

さて本日は、「いただきますとお供え物」というテーマで、お話させていただきます。

後ほど皆様からコメントもいただきつつ、対話もさせていただきたいと思います。

どれくらいのいのちをいただいてきた?

我々、々食べ物を食べておりますね。改めて考えると、食べ物とは、何らかのいのちをいただいているということです。

こういうお話を聞いたことがあります。お寺の子ども会で、あるお坊さんが、お子さんたちにこう問いかけたそうです。

「皆、牛肉を食べたことはあるよね。生まれてから今まで、どれくらいの牛さんのいのちをいただいてきたか分かるかな?」

こんな問いかけがありつつ、お坊さんとお子さんたちとの会話がはじまったそうです。

僧侶:「皆は牛肉好き?」

子:「牛肉おいしいから好き」

僧侶:「最近いつ牛肉食べた?」

子:「昨日」「一昨日」「この前焼肉行ったよー」

こういう前振りがあって、改めてお坊さんからお子さんたちに質問をしたそうです。

僧侶:「じゃあ改めて皆に質問だけど、生まれてから今まで、どれくらいの牛さんのいのちをいただいてきたか分かるかな?」

お子さんたちは考えます。

子:「うーん。結構食べたよ」「毎週お肉出てくるもん」「10キロくらいかな」「いや100キロは食べてるよ」

こういうお子さんの会話がありつつ、こういう意見も出て来たそうです。

子:「でも、牛さんを10キロとか100キロとかで数えていいのかな」

こういう疑問って大事ですね。

何キロといった単位で、牛さんのいのちを見ていいのだろうか。

牛肉として考えたら、何キロという単位だけれども、牛さんのいのちは、何キロといった単位で考えていいのか。

お子さんたちは、話しているうちにそうした疑問や違和感が出てきたのだと思います。

◆多くのいのちをいただいて生きている

お子さんたちの疑問の通り、牛のいのちは、何キロといった単位でははかれませんね。

一食で食べたのが、たとえ20グラムだったとしても、そこで牛一頭のいのちはいただいています。

生きたまま肩から20グラムだけお肉をもらうとか、お腹から100グラムだけもらうとかではないわけです。

我々が一食でどれくらい食べようが、そこで一頭以上のいのちはいただいているわけですね。

そして、いただいているいのちは牛ばかりでもありません。

豚、鳥、魚。野菜だっていのちがありますね。

そう考えると、1日だけでも相当多くのいのちをいただいていますね。

生まれてから今までだと、どれくらいになるでしょうか。

例えば、1日に10のいのちをいただいていたとして、1週間で70。1カ月で300。1年で3,650。

10年で36,500。50年で182,500。

いかがでしょうか。どう感じられるでしょうか。

私は、とても多くのいのちをいただきながら、今生きていることを思わされます。

そして実際には、もっと多くのいのちをいただいているように思います。

我々は、何らかのいのちを摂取しないことには、生きてはいけません。

いのちは大切という自分。しかし、そのいのちをいただかないと生きてはいけない自分。

この大きな矛盾を抱えながら、我々は生きています。

そして、矛盾を感じても、いのちをいただきながらでないと生きてはいけない我々がいます。

いのちをいただいていると思いながらも、口に入った次の瞬間には、美味しいねと言っている自分がいます。

そしてあろうことか、この食事は美味しくないなと思ってしまう自分もいます。

こうして考えると、自分が罪を重ねていないなんて、あり得ないことですね。

◆いただきますとお供え物

そこでせめて、我々ができることが、いのちをいただいていることを当たり前とせず、感謝していただくということではないかと思います。

手を合わせて、いただきますやごちそうさまでしたと言って、食事をいただくことではないかと思います。

仏教の各宗派では、食事の際の言葉というものが、大体あるかと思います。

それは、やはり尊いいのちをいただいているという感謝の念からつくられたものだろうと思います。

私が所属している浄土真宗本願寺派でも、食事のことばがございます。

その食事のことばを、今日の言葉として紹介させていただきます。

食前のことばと、食後のことばとがございます。

【食前のことば】
多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。
深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。

【食後のことば】
尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。
おかげで、ごちそうさまでした。

こうした食事のことばというものがあります。

いのちをいただいているということを、折に触れて思い出すことのできる言葉かと思います。

宜しければ是非、食事の際には、食事のことばをおとなえされてみるのはいかがでしょうか。

また、他の宗派でも、食事の際の言葉があるところもあるかと思います。

お寺とご縁がある方は、お寺の方に聞いてみられるのもいいかもしれませんね。

また、お供え物をするという行為にも、多くのいのちをいただいていることへの感謝、我々が今こうして生かされていることへの感謝ということがあるのだろうと思います。

大切ないのちといいながら、そのいのちをいただかずには生きていけない我々です。

そこでせめて、我々ができることは、いのちをいただいていることを当たり前とせず、感謝していただくということではなかろうかと思います。

その具体的な形が、手を合わせて、いただきますと言ったり、ごちそうさまでしたと言うこと。
そして、お仏壇がある方は、お供え物をして感謝をすること。

そうした意味があるのではなかろうかと思います。

いのちをいただいていることを忘れないようにという自戒の念も込めて、本日はお話をさせていただきました。

「幸せを育む法話の時間」ということで、本日は「いただきますとお供え物」というテーマでお話をさせていただきました。

この後、皆様からご感想をいただきつつ、味わいを深めていければと思っております。

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最後までご覧いただきありがとうございます。

 

合掌

福岡県糟屋郡宇美町 信行寺(浄土真宗本願寺派)

神崎修生

▼仏教ひとくち法話シリーズ

【仏教ひとくち法話】#015 いのちをいただきます | 信行寺 (shingyoji.jp)

【仏教ひとくち法話】#014 続・私という存在とは何か? | 信行寺 (shingyoji.jp)

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