仏教の汎用化はなぜ必要か?仏教をデザインする。

皆さん、こんにちは。僧侶の神崎修生です。

今回は、「仏教の汎用化はなぜ必要か?」というテーマでお話をさせていただきます。

▼動画・音声でご覧になりたい方はこちら

新型コロナウイルスから、利己(自分が良ければよい)という考え方では、地球や社会や地域がもたないといった大きなレベルの話だけでなく、仕事や家族や自分の生活が成り立たないことが見えてきて、自利利他(自分のためが他者のためとなり、他者のためが自分のためとなる)という考え方やあり方が重要になってくると考えます。

そして、これからの時代、仏教でいう自他の抜苦与楽(自らと他者の痛みや苦しみが和らぎ、より良く生きていくこと)という生き方やあり方、自利利他(自らのためが他者のためとなり、他者のためが自らのためとなる)の考え方が重要になると思われます。

そして、自他の抜苦与楽や自利利他にもとづいて、抱える課題を解決するための具体的なアクションをとったり、自分(たち)だけで解決できないような課題に対して、共働や支え合いをしていくこと、そして、それを促す利他の輪をつくることが重要になるというお話を、数回にわたりしてきました。

このあたりをもう少し詳しく知りたいという方は、前回の記事をご覧下さい。

▼前回の記事はこちら

なぜ仏教の汎用化が必要か?

さて、仏教を2500年間紡がれてきた人類の智慧と捉え、仏教を、課題解決のアクションや、利他の輪をつくっていくために活用していこうとする際に、必要になるのが、仏教の汎用化(はんようか)だと考えています。

汎用化とは、特定の用途や対象に特化せず、ある程度何にでも使える状態に機能を拡張することです。

なぜ、仏教の汎用化が必要かというと、多くの方にとって、仏教は縁遠いものであり、特定の用途や対象に限定され、日常の生活や仕事に取り入れたり、活用できるという状態にはないからです。

現在の日本の仏教(主にお寺や僧侶)の状況は、大枠では、特定の用途や対象に特化してしまっているといえるかと思います。檀家や遺族という特定の人に対して、ご葬儀やご法事、お墓などを中心とした特定の用途に特化した状態です。これは、愛別離苦(あいべつりく/大切な方と別れていく苦しみ)に特化しています。

生きている人のための仏教であってほしいというご意見を聞くことがあります。ご葬儀やご法事も大切なことでありつつ、死者に向けた儀礼儀式だけでなく、生きている人の悩みや苦しみにも目を向けてほしいというご意見かと思います。

多くの日本人が、仏教やお寺との縁は、ご葬儀やご法事に限定され、非日常的な関わりになっています。

仏教が縁遠く、身近にないのであれば、課題解決の際に、仏教の考え方や価値観を活用しようとか、人との関係性構築の際に、自利利他の考え方を活用しようなどとは思わないでしょう。

まず、仏教とはどのようなものか、どのような価値や良さがあるのか、仏教に触れていることで日常にどのような良い変化があるのか、どのように活用が可能なのか。きちんと言語化し(Define)、様々な方と対話し(Communicate)、仏教を活用できる状態にすること(Design)が重要だと考えます。

仏教の汎用化に重要な視点

上記のように、仏教の汎用化にあたり、重要な視点が3つあると考えています。

①仏教の意義や価値を言語化すること(Define)
②言語化するにあたり、様々な方と対話すること(Communicate)
③仏教を活用できる状態にすること(Design)

です。

日本でおこなわれるご葬儀の約80%が、仏式(僧侶が儀式を執行する形)でおこなわれています。また、多くの方が、その後ご命日にご法事を営みます。これだけご葬儀やご法事が浸透しているのは、③のように、ご葬儀やご法事という活用できる形にデザインされ、パッケージ化されていることが一つの理由として挙げられるでしょう。

(ただ、死生観や価値観が変化してきており、①葬儀などの意義や価値の言語化や、②言語化にあたり、関係者と対話していく必要があることは補足しておきます)

仏教が、ご葬儀やご法事と同じくらい、別の用途でも活用され、汎用化するには、言語化と対話と、デザインすることがやはり重要になるかと思います。

そして、仏教の汎用化に取り組むにあたっては、ただ漠然と進めるよりも、今の時代における必要性や重要性、有用性、早急性などを考え、汎用化に取り組んだほうが良いでしょう。

そうした時に、今重要となる課題解決のアクションと、利他の輪をつくるということを通して、仏教の汎用化を進めることが良いと考えます。

次回以降に、そのお話をしたいと思います。

補足

今の日本の仏教(主にお寺や僧侶)が、ご葬儀やご法事に特化しているというお話をしましたが、お寺ではそれ以外にも、様々な行事や取り組みをおこなっている場合がほとんどです。

しかしあえて、ご葬儀やご法事に特化しているというような言い方をしたのは、ご葬儀やご法事ほどに、他の行事や取り組みなどが、何のためにおこなわれ、どのような価値や良さ、必要性があるのかが定義づけされていないことも多いように感じることと、また、ご葬儀やご法事ほど、多くの方に活用されているというわけでもないように感じるからです。

例えば、私が所属する浄土真宗でいうと、法話(仏教の話)を聴くことが主となっている法要(催し)が、年に数回、かなりの人手をかけておこなわれています。その法要には、どのような価値や良さがあり、何のためにおこなわれているのでしょうか。

何百年と継承されてきた伝統や文化があるがゆえに、当たり前になりすぎていて、改めてその価値や良さを説明することも少ないかもしれません。

または、日頃から説明していたとしても、お寺側の内部の視点で、昔からの伝統に基づいた内容で言語化し、説明してしまっており、その結果、現代の人たちに、その価値や良さ、必要性が伝わらず、参拝者が減ったと嘆かれているお寺も少なくありません。

変えずに大切に残していくものもありつつ、どのようにしたら目の前の方に必要性を感じていただけるのか、自分ごとに感じていただけるのか、どうしたら価値や良さが伝わるのか、そもそも何のためにあるのか、自分にとってはどういうものか。

やはり、お寺の場合においても、こうしたことをきちんと言語化し(Define)、対話し(Communicate)、活用できる状態にし(Design)、限定的な用途や対象になっている仏教を、もっと広く活用していただけるように汎用化することが大切だと考えます。

もちろん、全ての取り組みや、全てのお寺のことを一括りで語ることはできません。ただ言えることは、時代の求めを知覚し、対話を通して、意義や価値を言語化し、日常的に活用していただけるような形や場をデザインしていくことが必要とされる時代であり、そうしたことを継続的にし続けているお寺は必要とされ続けていくことでしょう。

私も偉そうには言えません。色々な方に教えていただきながら、謙虚に、粛々と日々、取り組み続けていきます。

最後までご覧いただき、ありがとうございます。

合掌

浄土真宗本願寺派 信行寺

神崎修生