【仏教入門講座】お釈迦様 誕生の物語(後半)

皆さん、こんにちは。僧侶の神崎修生です。

皆さんは、お釈迦様という方のことをご存じでしょうか?

その名は聞いたことはあるけれど、何をした人か分からないという方も多いかもしれませんね。

お釈迦様は、仏教の開祖で、今から約2500年前に実在した人物です。人としての生き方や考え方の智慧を示され、悩み苦しむ多くの方を救い、導いたと言われています。

前回から、お釈迦様の誕生にスポットを当て、お話しています。お釈迦様は、生まれた直後に、七歩歩かれ、「天上天下唯我独尊」と語られたと伝承されています。

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「天上天下唯我独尊」の言葉は、中国にて漢訳されたもので、もともとの原文は、以下の内容だといわれています。

「私は世界の第一人者である、私は世界の最年長者である、私は世界の最勝者である。これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」

こうしたお釈迦様の誕生のエピソードは、お釈迦様という存在の偉大さや尊さ、素晴らしさを表現するために、後世の人々がつくりあげていったのだと考えられます。

では、お釈迦様は、どのようなことを語られ、どのようなことをされた方なのでしょうか。それが分からないことには、お釈迦様の偉大さや尊さを、このような誕生のエピソードとして表現した意味が理解できません。

今回は、お釈迦様がおこなわれたことや仏教の考え方から、お釈迦様の誕生のエピソードや、誕生の際に語られたとされる言葉の意味について考えてみます。


▼動画・音声もあります

是非、最後までご覧ください。

目次

  1. お釈迦様がなしたこと

お釈迦様がなしたこと

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お釈迦様は、人間や世の中の真実について深く洞察された方でした。様々なことを洞察されましたが、一例を挙げると以下のようなことです。


・人間の苦しみとは、思い通りにならないことである。その思い通りにならない苦しみは、自分が思い通りにしたいという欲求からおこっているものである。

・人間は、好きこのむものをほしいと貪り、嫌い憎むものを遠ざけようとする。思い通りにならなければ怒りの心をおこし、思い通りになれば心地良い感情がおこる。

・そうした自分の欲求に振り回されて生きているのが人間であるが、そのことに気付かずに生きている。また気付いていても、いったん自分の思い通りにならないことがおこれば、怒りや憎しみの心をおこし、人を傷付けるような言動をとり、ひいては自分をも傷付けている。

このようなことをお釈迦様は2500年前に洞察したといわれますが、この考え方は未だに通用するものでしょう。

自分が悩み苦しんでいる問題は、思い通りにしようとする自らの欲求からおこり、それを制御し、心身を整え、安らかに、より良く生きていこうとするのが仏教の根本の教えです。

こうしたことを深く洞察され、それをどのようになしていくかという方法を行(ぎょう)として示されています。


こうした内容は頭で理解することはできたとしても、実際に体現して、それに基づき生涯を送っていくことはとても難しいものです。大切だと思うものほど、執着する心はおこりますし、怒りや貪りの心を離すことはとても難しいものです。


お釈迦様は、自分自身がその行を修め、心身を整え、常に心安らかにおられ、悩み苦しむ人々を救うために、生涯にわたり旅をされたといわれています。

執着から離れるために、ものや食べ物を所有せず、また出家者たちと集団生活をされ、戒や律という規範やルールも設けられました。


時代や国によって、仏教教団や仏教のあり方は変化していますが、仏教という旗印のもと、2500年もの間、多くの方に大切にされ続け、影響を与え続けているということは凄いことではないでしょうか。

こうしたお釈迦様の偉業を考えると、とても真似できないような凄いことですから、後世の人は、そうしたお釈迦様の尊さを表現しようとして、お釈迦様の誕生のエピソードをつくっていったと考えられます。

誕生直後に歩いたり、語られたり、また、地面から水やお湯が噴き出したり、大地が揺れたり、かぐわしい香りの雨が降り注いだりといった表現がなされています。

お釈迦様が誕生直後に語られたとする「私は世界の第一人者である、私は世界の最勝者である(最もすぐれた人)」と語られたというのも、こうしたお釈迦様の偉業や尊さをたたえ、表現をしているのだと考えられます。


また、この世だけの人生では、お釈迦様のような精神性や尊さをそなえた人にはなれないという考え方から、お釈迦様はきっとずっと以前から、生まれ変わり死に変わりして、長い期間にわたり修行を続けてこられたのだという考え方がうまれてきます。

お釈迦様が誕生直後なのにも関わらず、「私は世界の最年長者である」と語っていることが、そのことを表しています。お釈迦様の前世のことを書いたジャータカ物語というものも、後世に編纂をされていきます。


そして、「天上天下唯我独尊」という漢訳では省略されていますが、原文では「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」という言葉が続いています。

これはどういう意味かといいますと、仏教では、輪廻という様々な生を生まれ変わり死に変わりしている状態は、迷いと苦しみの状態であると考えます。そして、仏教では、その迷いと苦しみの生を終え、さとりに至ることを目指します。

さとりに至ることが、輪廻を抜け出すこと(解脱)であり、仏になることであるとされます。これは、非常に理解が難しい考え方ですので、ここで理解できなくても全く問題ありません。

いいたかったことは、「これは最後の生まれである、もはや二度と生存はない」とお釈迦様が誕生の際に語られたとされているのは、今回の誕生において、こうした迷いと苦しみの状態に終止符をうち、さとりをひらき、仏になることを表現されているということです。


このように、お釈迦様の偉大さや尊さ、素晴らしさを表現するために、後世の人が、お釈迦様の誕生のエピソードをつくりあげていったのだと考えられます。

いかがだったでしょうか?

お釈迦様の誕生のエピソードについて、2回にわたりお届けしてきました。

伝説のように語られる誕生のエピソードも、お釈迦様が生涯なしたことや、語られた言葉が、後世にも多大の影響を与え続けている、そのことを讃え、お釈迦様の偉大さや尊さ、素晴らしさを表現したものでした。

少しでも、仏教が身近に感じられれば幸いです。

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合掌

浄土真宗本願寺派 教證山信行寺
神崎修生

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